2016年3月8日火曜日

●

2016-07-02 GC Marathon 10km Run :: 1時間10分25秒

_

● 2016 Gold Coast Airport Marathon


● 2016年 ゴールドコースト・マラソン 10kmラン カミさん写真

●ネットタイム





「にこたまジョッギング」終了:リベンジは果たされなかった、「ゆず」で「にこたま」の打ち上げである

_


●なぜ葉先がつながっているのだろう。
 窓から見えるのだが。


 かみさんがリベンジするというので今日を設定してあった。
 しかし、朝起きると雨。
 リベンジは消えた。

 今夕はサウスポートの「ゆず yuzu」で「にこたま」の打ち上げと、かみさんの日本行きの軽い送別会の予定である。



<< 「にこたまジョッギング」 終了 >>





_

2016年3月6日日曜日

ジャパニーズサーフィン大会  レトリック・カップ2016 :何処で行われたのだろう?

_


● ジャパニースサーフィン大会 レトリック・カップのポスターならびに宣伝記事

日系新聞やあるいはポスターなどで宣伝していたのが上の「レトリックカップ」。
ゴルフなどは見たいとも思わないが、サーフィンともなるとちょっと覗いてみたいという気になる。
天気は上々さっそく出かけていったのだが。

場所はブロードビーチのブラッテンパーク。
オアシスに車を止め、早速ビーチへ。
そこそこの人出でパーク内のカントリーマッケットには散策のお客がひっきりなし。
夏はまだ終わっていない。
ビーチを見回しても、それらしいものは見当たらない。
やっていたのは子どもたちのライフセーバー練習が2組。



● ブロードビーチの海岸マイアミ側:子供のライフセーバー練習が2組

たずねてみた。
答えは
「ブラッテンパークは広いよ。
サーフィン競技が行われるとしたら向こうだ。
相当遠いよ」。
サーファーズパラダイス寄りを指さしてそういう。
まあ、行ってみるか。
はるか向こうで人が集まっている。
「あれか!」


● サーファーズパラダイス側:はるかはるか遠くに人群れが

今日は日曜日、ここのブロードウオークもたくさんの人がランニングに精を出している。
日射しはキツイ。
大変なことで!。
さて、なんとか辿り着いたが、これもやはり子どもたちのライフセーバーの練習である。
ウワー、何処でやっているのだ?
ブラッテンパークは本当に広い、というより長い。
ブロードビーチ横の公園がすべて「ブラッテンパーク」の名前である。
南北におそらく数キロはあるようだ。
ブラッテンパークのどこでやっているのだ!
もう少し具体的に場所を記載して欲しいものだ。
失意の中を何とか戻ってくる。
もしかしたら反対のマイアミ側か?
これまで小一時間ウロウロしていたことになる。
とてもこれ以上は探す気にはならない。
波はよく、天気も素晴らしい。
絶好のサーフィン日和である。
見学できたら楽しかったろうに。
でも残念だが、ブーブーである。

「もう探すのはやめよう!」
と言うことになって、パシフィックフェアーに寄ってお茶を飲んで帰ってきた。
何か時間を無駄にしたようだが、久しぶりに海岸に足を踏み入れたので気分はサワヤカであった。


● 今朝のブロードビーチ:どこでやっている?


【翌日】
 翌日の月曜日に息子がやってきたので尋ねたところ、マイアミ側でやっていたとのこと。
 息子はシェアメイトが出場したので、出かけていったらしい。
 と言っても我々が家に戻ったころにのんびりと出かけていったらしい。
 彼はベスト16には何とか残ったという。

【後日】
『
NICHIGO PRESS 4月号

』

『
NICHIGO PRESS 4月号

』



2016年3月3日木曜日

3月03日::にこたまジョギング 10.0km かみさんリタイヤ:今日はひな祭りである

_

● 今日、3月3日はひな祭り、娘は日本だが。



● 走り終わってベンチに倒れこむ。
 帽子の後ろについている飾りは、娘が知り合いの老人ホームに入っているおばあちゃんからもらったものだという。
 ドングリを形どったブラブラでおばあちゃんの手作りである。
 ちなみにこれまでサンバイザーを使っていたが、汗を吸って生地がゴワゴワになってきていた。
 ダイソーをのぞいたとき目についたのがこのネット仕様の帽子である。
 手にとってみたらハネのように軽く、これならいけると思い3ドル80セントで買った。
 実際にかぶって走ってみたが、その重さがまったく気にならない。
 ランニングにはなかなかのすぐれものである。


前回走った後、かみさん曰く
「最低気温が下がらない、走るとひっくり返る」
との一言で、遅まきながらの夏休み入った。
来週にはかみさんは日本に行ってしまう。
滞在期間は3カ月弱の予定になっている。
よって、それまで休みが続くものと思っていたのだが。

3月1日にブロードウオーター・パークランド公園群の最北に位置するミッシェル・パークが改修工事を終えて数カ月ぶりにオープンした。
これまでネットフェンスが張られ、ここを通っていた遊歩道は使えなくなっていた。
そのためランニングコースは車道横の歩道を走らされていたのである。
それが工事終了にともなって、久しぶりに走れることになった。
この工事の内容は遊歩道に沿ったビーチ、並びにキャラバンパークの後ろのビーチを広げること、オリンピックプール裏にあったボートランプがアクアテイック・センターの増築工事によって閉鎖されたので、その代替ランプを造ること、それに伴う駐車場を造ることである。
その工事が終わり、遊歩道が復活したので、カミさんが休みを終了して「走ろう」と宣言したわけである。
ほぼ3週間ぶりになる。

私は時間を見つけて週一回短い距離を走った。
身体が鈍るのが嫌だったからである。
団地の周り一周「1.150m」を使って、最初の週は5キロほど、2周目は7.4キロである。
時間は11時前後。
この時間は実にきつい。
何しろ日射しがまともである。
後ろ首筋がヒリヒリになる。
さらにこのコースにはだらだらの坂がある。
2回とも風があったので暑さはさほど感じなかったが、走り終わったら一気に体中から汗が滝のように吹き出てきた。
シャワーでは石鹸を持つ手が疲労で上がらなかった。
久しぶりの実感する肉体疲労に感動すらしてしまった。
てなことで、私は体慣らしをしていたが、かみさんは3週間ぶりに一気に10kmへ挑戦したのである。

さてその今日の天気だが、日射しは1/3は晴れ間、2/3は雲間で問題はない。
風は微風でこれもいい。
だが、蒸し暑い。
3週間ぶりなので、無理はできない。
ゆっくりでいいから15kmを走り切ることに目標を絞り込む。
タイムはこのさい無視する。
キロ7分のゆっくりペースで走る。
  絶対にスピードは上げない。
どこで何が起こるか分からないからだ。
正直なところうを言うと今日はあまり走りたくない。
調子が悪い。
おそらく、3日前の7キロの疲れが抜けていないのだと思う。
しかし、朝方かみさんにたたき起こされて出てきた。
私一人ならやめているところだ。
途中止まることなく走りきれれば御の字といった気分である。

身体が重い。
でも1kmは7分15秒で行っている。
身体の具合にしては悪くないタイムである。
  5kmを「34:35」である。
キロ7分をわずかだが切っている。

工事終了に伴ってコースが若干異なってくる。
中間点で「51:23」である。
ただ、このポイントはあまりはっきりしない。
コースは同じなのだが新しい遊歩道となり、歩道に書かれた距離表示もなく、歩道の脇の風景もまったく違ったものになってしまったので、どのポイントで測ればよいかがまだ不明瞭になっている。
今日はこの辺だろうというところで測っている。
そのまま倍すれば「1時間42分46秒」となり、えらくいいタイムになる。
身体に対する負荷はまったくない。

アクアテイック・センターの裏でかみさんとすれ違う。
なんと歩いていた。
リタイヤである。
後で聞いた話によると、南の折り返しの7kmくらいまでは順調にいいタイムできたらしい。
ところが、折り返したとたんに一気に身体が動かなくなったという。
蒸し暑さのせいだと言っているが、これは明らかに走りこみ不足。
3週間ぶりのランニングはさほど甘いものではない。
身体がいうことをきいてくれない、ということである。
確かに今日は蒸し暑い。
普段なら1,2回しかとらない水を、水場がくるたびにノドを潤すし、数回とっている。

コースの変更によって、10kmはこれまでの南の折り返し点から250m行ったところに変わる。
「1時間08分25秒」、良すぎるタイムである。
そんな速く走ったのだろうかと疑問に思うほどである。
キロだと「6:46」になる。

後半の5kmも順調である。
でも速くは走っていない。
マイペースといったところで、スピードはまったく上げていない。
これはやはりなんといっても日射しの強さによる影響だろうと思う。
15kmは「1時間42分45秒」である。
このコース、いつもは「100分走:1時間40分」を目標にしており、昨冬には「1時間30分30秒」で走っているから速いわけではないが、「1時間45分」を目標にしていこの夏場なら見事なものだと思ってしまう。

15km距離の前回の記録は下のように4週間前で「1時間45分台」である。
今日はそれを2分半更新したことになる。
タイムが良くなってくるということは、少しづつ夏から遠ざかっていくということでもあるのだろう。

【15km 1時間42分45秒 6:51/km】
 5km   34:35    34:35
10km   33:50   1:08:25
15km   34:20   1:42:45

【前回 2月07日 15km 1時間45分17秒 7:01/km】
 5km   34:31    34:31
10km   35:37   1:10:08
15km   35:09   1:45:17

かみさんにとってこれが最後の「にこたまジョッギング」のはずであった。
だがリタイヤしてしまい、無念なのだろう。
「もう一度走る」
と言ってきた。
リベンジというわけである。
よって来週前半に最後のランニングを行うことになった。


● 今日は3週目になる。











2016年2月28日日曜日

TAO:「クールジャパン」の要素がたっぷり詰まったブロードウエイ進出を果たして

_

●外国人のツボにはまる CBSの夜の看板番組「ザ・レイトショー」で喝采を浴び、オフ・ブロードウェイの公演でも目の肥えたニューヨーカーたちを魅了していた © DRUM TAO


●まるで「太鼓を叩くEXILE」のような勇ましさ © DRUM TAO

オーストラリアに住む日本人にとって最高のエンターテイナーとは『TAO』だろう。
TAOは3回オーストラリアツアーを実行している。
多くの人が4回目はいつだろうと心待ちにしている。
私は3回の公演すべてを見た。
最初のときはジーンズのごく普通の青年の登場であった。
だがバチをもった手が下がった瞬間にとんでもない興奮に突き落とされた。
見終わった夜は寝ていてもガンガンと太鼓の音が脳内に響いていた。
2回目は公演情報が入ったその日に前売り券を買いにかけつけた。
いわく「絶対に最前列でみるのだ!」。
ゲットしたのは最前列でそれも中央から2席ほどずれただけの場所。
なにしろ汗が飛んでくるほどの近くであった。
この2回の公演は主に日本人客相手の宣伝であった。
もちろん満席。
ブリスベンでの切符が手に入らなかった友人はゴールドコーストの公演にかけつけてきた。
3回目はオーストラリアンをターゲットにしたもので、日本語新聞にはまったくその宣伝は載らなかった。
たまたま出かけた地元の図書館で公演パンフを目にしたのである。
すぐに予約をする。
前回は最前列で全体が見えにくかったので、この時は中央席で、前から5列目あたりを手にした。
この公演はそれまでとくらべてはるかにパフォーマンス化されて、叩き以上に見せる形に進化していた。
日本人客は少なく圧倒的にオージーであった。
2回目と3回目でそれぞれDVDとCDを買った。
さて、ブロードウエイデビューを果たしたとのことで、オーストラリアの4回目の公演はあるのだろうか。


『

●2月10日放送の「ザ・レイトショー」
A Performance From DRUM TAO
2016/02/11 に公開
Drum Tao gives a performance from their newest percussion and dance show, Seventeen Samurai.
』

『
ニューズウイーク 2016年2月23日(火)11時09分 小暮聡子(ニューヨーク支局)
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/02/tao.php

外国人を(嵐よりも)魅了するサムライ集団「TAO」って何者?
華々しい「ブロードウェイ」デビューを飾った大分発の和太鼓集団『DRUM TAO』は、日本を国外に売り込む「顔」になれるかもしれない

覚えている人もいるかもしれないが、5年前、日本の観光庁が国外向けに日本のPR映像を作って、外国人から失笑を買った「事件」があった。
映像では、人気グループ「嵐」のメンバーがそれぞれ日本の観光地を訪れ、招き猫の真似をして「ニャー」と鳴く。

当時、仏フィガロ紙の東京特派員で辛口親日家であるレジス・アルノー氏は、本誌に
「嵐がニャーと鳴く国に外国人は来たがらない」
と題するコラムを寄せ、観光庁の勘違いぶりをこう嘆いた。
「日本はなぜ『最高の顔』で自分を売り込もうとしないのか。
 洗練された職人や建築家、知識人、画家、料理人ではなく、国内限定のスターを宣伝に使うなんて」

観光庁は、その映像をニューヨーク・タイムズスクエアの大型ビジョンを皮切りに全世界133カ国・地域以上で流していくと豪語していた。
その後ニューヨークに赴任した私は、あの映像が世界最高のエンターテインメントが集結するこの街のど真ん中で流れていたのかと赤面したものだが、同時に
 外国人を虜にする日本の「最高の顔」とは何か
と考えを巡らせてきた。

4年後の東京オリンピックに向けて、今後は開閉会式のパフォーマー選びが加速するだろう。
確かに嵐は観光庁が訪日客のターゲットにしている東アジアでは人気だが、残念ながら「世界に通じる」とは言いがたい。
もっと幅広い層の外国人を取り込める「顔」はないものか――そう思っていたところ、先日ついに目撃してしまった。
嵐とは別の"サムライ集団"が、目の肥えたニューヨーカーたちを熱狂させている姿を!

その精鋭たちとは、日本人の和太鼓集団『DRUM TAO』。
男性26人、女性8人から成るTAOは、
一般的な知名度こそまだまだかもしれないが、実は日本だけですでに
 11万人ものファンクラブ会員を抱える人気グループだ。
その彼らが今月10日、満を持して「ブロードウェイ」デビューを果たしたのだが、それが単なるブロードウェイではなかった。
アメリカの巨大ネットワーク局「CBSテレビ」の視聴者を前に、ブロードウェイのエド・サリバン劇場でパフォーマンスを披露したのだ。

TAOが出演したのは、CBSの夜の看板番組「ザ・レイトショー」。
昨年デービッド・レターマンからスティーブン・コルベアが司会役を引き継いた長寿番組で、毎晩「旬な」ゲストを迎えてトークを繰り広げる。
TAOと同じ日に出演したのは、映画『ズーランダー2』のプロモーションに訪れた人気俳優ベン・スティラーと、米大統領選で民主党の候補者指名争いに出馬しているバーニー・サンダース上院議員だ。
そんな大物たちと同じ枠内でコルベアから紹介され、和太鼓の演奏をメインにしたド迫力のステージを展開して観客から喝采を浴びた。

私自身も
 2月11~14日にニューヨークのオフ・ブロードウェイで行われたTAOの公演『DRUM HEART』の最終日に足を運んだが、その圧巻のパフォーマンスに観客が度胆を抜かれ、スタンディングオベーションを繰り返すのを目の当たりにした。

約2時間の公演中、舞台の上で奏でられるのは数種類の和太鼓に三味線、琴や篠笛といった伝統楽器。
しかも、単なる演奏に留まらず、アクロバティックなパフォーマンスあり、ファッションショーさながらの華やかな衣装ありと「魅せる」ポイントが満載で、そのどれもが外国人のツボにはまる。
TAOが彼らを総立ちにさせるのは、そこに
「クールジャパン」の要素がたっぷり詰まっている
からだ。

例えば、黒髪を振り乱しながら長刀を操ったり、ミュージシャンというよりアスリートのように鍛え上げられた肉体で和太鼓を叩きまくる日本男児たちは、外国人から見ればまさに「サムライ」そのもの。
公演の前半が終わった休憩中、客席の若い白人女性が
「Oh my gooood! I am obsessed!!(ヤバイ!ハマっちゃったー!!)」
と叫んで目をハートにさせているのを見て、私は思わずニンマリした。
「太鼓を叩くEXILE」のような勇ましいサムライたちが、男女を問わず観客をウットリさせているのである。

さらに、男性ばかりの舞台をキリリと締めるのはクールなアジアンビューティーを身にまとう4人の女性たちだ。
座長でもある西亜里沙が叩く太鼓にはその日で一番しびれたし、彼女たちが奏でる琴や篠笛は男性的な舞台に女性的な柔らかさを加えていた。
次々と変わる「斬新な和装」を思わせるステージ衣装も格別で、「ファッション大国」としての日本の顔を惜しみなく披露する。

外国人も声を挙げて笑う絶妙なユーモアさえ登場するTAOの舞台は、まさに世界に通じるエンターテインメント。
それもそのはず、『DRUM HEART』(日本では昨年『百花繚乱 日本ドラム絵巻』として上演)を演出したのは宮本亜門であり、衣装を手掛けたのは国際的ファッションデザイナ―のコシノジュンコだった(宮本による演出は今作が初めてで、コシノとは2012年からタッグを組んでいる)。

■結成は95年、
 当初から海外を見据え、22カ国で650万人を動員

さてこのTAO、一体何者なのか。

大分県を本拠地とするTAOのプロダクション事務所によれば、男女34人のパフォーマーは18~45歳の平均25歳。
入団希望者は年間100人に上るが、狭き門をくぐって入団できるのはそのうち10人程度だ。
ほとんどが和太鼓経験者だが、前職はロックバンド、美容師、バーテンダー、自衛隊員などさまざま。
彼ら全員が大分県竹田市久住町の山奥に建設された複合施設「TAOの里」で共同生活を送りながら、毎年新作のオリジナル舞台を作っているという。

ちなみにTAOの里は稽古場やステージ、トレーニングジム、スパ、ゲストハウスなどを備えているが、住居空間は研修生だと集団でログハウス、新人はプレハブ、中堅はホテルの客室のような部屋に1人ずつ、ベテランは高級マンションと、出世するごとにランクアップしていくというから面白い。

TAOは結成時から海外を見据えていた。
もともとはラスベガスにチャレンジしたいという和太鼓グループがその夢を実現できず、路頭に迷っていたところに、外資系商社や大手流通企業で勤務経験のある藤高郁夫氏が手を貸す形で95年に活動を開始。
太鼓とは無縁だった藤高氏が社長となり、舞台演出や音楽制作など総指揮を執って現在のTAOを作り上げたという。

日本でも全国ツアーをするなど多くの公演をこなしているが、2004年には初の海外公演を果たし、スコットランドで毎年開かれる世界的な芸術祭「エジンバラ・フェスティバル・フリンジ」に参加。
1800団体が集う同フェスティバルでその年と翌年のチケットセールスNo.1を樹立するほど人気を博してワールドツアーを開始し、現在までにアジアを含む世界22カ国で650万人以上を動員してきた。
21年目での「ブロードウェイ」デビューは、むしろ遅すぎたと言えるほどかもしれない。

当然のことながら、当初は伝統芸能を現代的なエンターテインメントに昇華させるTAOのやり方には各地の和太鼓保存会などから賛否両論あったという。
とはいえ、TAOの舞台が日本の和太鼓ファンにとどまらず、世界で受け入れられているのは事実だ。
TAOが今後向かうのは、アイリッシュダンスとアイルランド音楽の世界的ショー『リバーダンス』のような道かもしれない。
アイルランドの「顔」にまで成長したリバーダンスは、TAOと同じ95年の初演以来、全世界で2500万人以上を魅了してきた。

 TAOは「日本の顔」になれるのだろうか。
14年には観光庁から「観光庁長官表彰」を送られたというが、政府はどうか、全世界に放映されるオリンピックで「嵐のニャー」と同じ轍は踏まないでほしい。
TAOにはCBSとニューヨーカー、国外のファンたちが太鼓判を押している。
少なくとも、外国人から失笑されることはないはずだ。
』

『


● オーストラリアツアーのCDカバー

●Japanese drum group "Tao"
2013/10/22 に公開
』

『
●和太鼓 TAO タオ 2011.9.18 世界が絶賛 TAO(タオ)の魅力
』






2016年2月27日土曜日

2月14日::にこたまジョギング 10.0km=1時間17分59秒 :【インターネット回復始末】、16日間の盲目状態はよかったのか悪かったのか

_



● 送られてきたスピードアップしたモデムなのだが

『
【注】
  このブログは2月27日にアップロードしたものである。
 内容は2月14日のジョギングのことであり、その日に日記に書き留めて置いたものをコピーしたものである。

 というのはインターネットがしばらくつながらない状態になってしまったからである。
 オーストラリアのインターネットは実に遅い。
 若いプログラマーが大阪に1年間のワーキングホリデイにいったこときのことである。
 彼は日本のインターネットの速度に驚愕して、様々なものを目一杯ダウンロードしてそのCDを運んできた。
 世界で一番速いのは韓国で、2番は日本というときもあったが、いまでは日本は4位だったか5位だったかに落ちている。
 でも日本のネット速度は十分に速い。
 テレストラもこのあたりのノロマさは認識しているようで、光ファイバーを巡らすプロジェクトを進めているという。
 先日のことスピードアップしたというモデムを数日前に送ってきた。
 付け替えて、なるほど速くなったなと思った。
 これまでは映像がstopして、デイスプレイに丸い輪が出てこれがグルグルと回っていたものである。
 しばらくするとつながり丸い輪が消える。
 このままいくのかな、と思うがそうはいかない。
 すぐに画面がフリーズして、また輪が回り始める。
 こんな繰り返しであった。
 これではとても先進国のネット状態とはいえない。

 新しいモデムは少しは速くなったようだが、つながったのはその日1日だけ。
 翌日から完全にストップ。
 そんなもんだよ、テレストラなんて。
 いわく『ケーブルをメンテ中』。
 いつまでメンテしているのだ、今日で4日目だぞ。
 今日(2月14日)でインターネットが使えなくなって4日目になるのだが、こちらも慌てない。
 テレストラの無能さは肌で感じており、怒るだけ無駄と心得ている。
 『サービスは悪い、技術力はない、その集大成がテレストラ』
と思っている。



 「まだ、テレストラなんて使っているの」
というのが周囲の声の昨今である。
 デルのデスクトップ、レノボのノートパソコン、そしてアイフォンの3ツに影響が出ている。
 といってもアイフォンは別の電波を選択するようにしているので動かせるのだが。

 昨年のことである。
 モデムが壊れた。
 新しいものを買ってつなげたが繋がらない。
 テクニシャンが来るという日待っていたがこない。
 更に1週間ほど待った。
 やっと来た。
 いわく「モデムは正常に動いている」とそれだけである。
 「1時間後につながる」と言いおいて帰っていった。
 だが、1時間待ってももまるでつながらない。
 テレストラいわく、
 「いま調べているが、原因がわからない」
 あんたの責任だろう!
 しびれを切らして抗議したら
 「機械を交換するか否かの許可を上司に求めている」
 「10日ぐらいかかるかもしれない」
 おいおい、どうなっているテレストラは。
 バカで無能なテレストラめ!!!!
 つながったのはテクニシャンが来てから1週間後であった。
 1時間後が1週間後になった。
 モデムが壊れてから新しいモデムで通じるようになるまで、トータル26日間インターネットはストップしたままだった。
 こうなるとインターネットの無い生活もオツなものだと諦められるほどに長かった、といえるほどになる。
 やることがないので、本を読んでいた。
 この間に読んだ本がなんと26冊。
 まるで数字合わせになってしまった。
 ちなみにいつもなら100ドルほどの電話料金がこの時は21ドルに値引きされた。
 
 この経験からテレストラはどうにも使えない、ことが重々わかっている。
 なにしろ、バカで、アホで、無能なテレストラ、というイメージが焼き付いてしまっている。
 今日で4日目だが、さていつ復旧するのだろう。
 気長に待つしか無い。
』

===========

 朝陽がきつい。
 雲がまったくない。
 いたぶられそうだ。
 今日は日射しとの戦いになると覚悟する。
 目標はいつものようにキロ7分で1時間45分である。
 入りの1キロは7分22秒、まあまあだ。
 北の折り返しは3.2kmになる。
 5kmは「34分48秒」、何とかキロ7分をクリヤした。

 中間点は「52分30秒」、見事に真ん中、このままなら1時間45分である。
 しかし、後半の方が1分から2分ほど遅れるのがいつものこと。
 キロ7分は難しいと思う。
 さて、9kmを過ぎるころからやっぱりおかしくなってきた。
 体も足も進まない。
 パタパタと足を道路に置いていくだけになる。
 この状態ではとても15kmは走れない。
 ダメだ、と判断する。
 南の折り返し点になるゴールドコースト・ブリッジの北詰めが10kmになる。
 「1時間11分16秒」である。
 中間点から2.5kmをキロ7分半かかっていることになる。
 
 10kmから11kmを測ったら「7:47」である。
 足が上がらず地面に摺るようになり、時々路面にシューズがひっかかってつんのめる。
 上がらなくなった右足が左足のくるぶしにぶつかりはじめる。
 イテテテ!
 13kmリタイヤと決め、ラストの2キロを無理せず戻ることにする。
 13kmで「1時間34分31秒」、キロ平均だと「7分16秒」である。
 日射しに負けたということである。
 夏はまだ続いているのである。

【13km 1時間34分31秒 7:16/km】
 5km   34:48    34:48
10km   36:28   1:11:16
13km   23:15   1:34:31

【前回 2月07日 15km 1時間45分17秒 7:01/km】
 5km   34:31    34:31
10km   35:37   1:10:08
15km   35:09   1:45:17

ときどき出会う老人がGCマラソンの「10kmラン」のコースを走っているようだ、とカミさん言う。
 この人には私もたまにすれ違うことがある。
 いや、確かに老人だ。
 自分の老人性を棚に上げて他人のことを言うこともないのだが。
 そこそこガンバっているようである。
 着ているシャツが10kmランの完走Tシャツなので10kmランナーであることがわかる。
 まあよく走っているもんだ、と感心するほどである。
 でもカミさんは抜かれるだけだという。
 抜かしたことはない、とのこと。
 今日はその老人が走っている公式10kmコースで走ってみる、という。
 かかったタイムは「1時間17分59秒」。
 一部は道路沿いになるので、いくつかの信号待ちにぶつかる。
 走りやすいコースではない。
 終わったあと「もう、やめた」ということであった。
 一度経験すれば再び走りたいとは思わないということであろう。
 まあそうだろう、走っているときの信号待ちくらい苛つくものはない。
 いま走っている片道6.3kmの遊歩道コースがなぜいいかというと、信号待ちが1カ所しかないからである。
 いつも信号無視である。
 というのはキャラバンパークとコーストガイドへの出入り用で、ほとんど危険性がないからである。
 まったく信号待ちをしないコースもある。
 海岸を走ることである。
 スピットからマイアミ・ロックまで片道20kmをノンストップで行かれる。


【インターネット回復へ道のり】
【7日目】
 不通になって7日間が過ぎた。
 毎日のように案内パンフレットに書いてあったコールセンターに電話をするがラチがあかない。
 ここは朝の8時から夜の8時までしかやっていない。
 ひどいもんだ。
 7日目の夜にプログラマーの息子が来たので彼にまかせる。
 テレストラの24時間対応のコールセンターに電話を入れる。
 どうもテレストラ側のバグのようである。
 24時間以内に復旧させるとのことである。
 果たしてどうなるか。
 もし復旧したら、この7日間の不通に対応する料金が割り引かれることになるだろう。
 もしインターネットで商売などしていたらどういう保証がつくのだろうか。

【8日目】
 やはり24時間ではつながらなかった。
 1時間後が1週間になるのがテレストラだから、1日後は1カ月後になってもおかしくはない。

【9日目】
 9日目でテレストラが言うには「明後日に結果が出る」ということのみ。
 復旧するということではない。
 何の結果だろう。
 前回のように、結果が出て、もしデバイスの変更などが必要なら上司に上げて決済をもらってそれから動くことになるのだろうか。
 今日と明日10日目はインターネットは使えないということである。

【10日目】
 つながらず。

【11日目】
 つながらず。

【12日目】
 つながらず。

【13日目】
 つながらず。
 カミさんが2時間ちかくテレストラとやりあっていた。
  そのうちテレストラのコールセンターがお手上げになり技術者を送るという。
 ここまではよかったがっそれは有料だという。
 カミさんが怒った
 「勝手にモデムを送ってきて交換させ、つながらないからといってお金をとるとはなにごとだ。
 テレストラはつながらないモデムで金をとるのか!」
というわけである。

【14日目】
 つながらず。

【15日目】
 つながらず。

【16日目】
 つながらず。
 午後のテレストラとやりあって、
 「調べますので、24時間絶対にアクセスしないでください」
という言質があった。
 果たしてそれで済むとは思えないが。
 コールセンターのオペレーターは能力に大きな差がある。
 ただマニアル通りに受け答えする人と、一歩踏み込んで対応する姿勢をとる人がいる。
 まあ、どちらもあまり期待はできないが、いろいろ向こうから試してみてこちらのモデムに異常がないことはわかっているので、後はテレストラ本体にオペレーターがどれだけ圧力かけられるかという問題につきるのだろう。

【17日目】
 夕方、17日目にして回復した。
 ただし、私のパソコンはプラグインのみのコネクトで、ワイヤレスではつながらない。
 私のはVistaなのでサポートは打ち切られており、そのせいかなとも思う。
 カミさんのはセブンでWifiでつながる。
 しばらくは後処理におわれることになる。
 そのうち、インターネットがない時期をうらやましくなることがあるだろう。
 この間、読んだ本は24冊である。
 よく読んだ。


【新モデムの説明書】













2016年2月7日日曜日

2月07日::にこたまジョギング 10.0km=1時間14分00秒 :

_


●この4週間の血圧記録:赤は走った後の測定、先週は走っていない

 このところ、やはり盛夏なのだろう暑く、蒸あつかったために先週は無理せずお休みとした。
 今日あたりはパースはヒートウエーブで40度をところも出ているという。
 地理的な関係でピークがずれるのだろう。
 とはいえ、まるで走らなかったわけではない。
 体を慣らしておかないといけないという脅迫感にかられてちょっとだが走った。
 昼前で曇り空だったので家の周りをコースにしてチャレンジした。
 35分ほどだから5kmっほどだろう。
 いやー、暑かった。
 びっしょりであった。
 でもそれによって、体の方は走らないよりはスッキリした。
 
 昨日の予定であったが朝方は雨であった。
 そして今日になった。
 気温は高いが、曇り空太陽は時々顔を出す程度。
 風が強い。
 追い風でも背中を押されるほどである。
 気温をこの風が抑えてくれている。
 入りの1キロはそのせいか、7分少々でいった。
 南の折り返しを回ると向かい風になる。
  北の折り返しまで約6キロ半ほどである。
 無理せずじっくりである。
 目標は完走だが、ずるずる遅れることがないようにしないといけないので、この暑さではやはりキロ7分で1時間45分が妥当の目標になる。 

 5kmは34分31秒。
 30秒ほど速いことになる。
 5kmから6kmは6分55秒で、順当である。
 中間点7.5kmを52分10秒で通過する。
 このままいけば1時間44分20秒で目標を達成できるのだが。
 しかし、そうは甘くはない。
 ジリジリと落ちてくる。
 ときどきの向かい風に消耗するのだろう。

 10kmは1時間10分08秒。
 このままだと、目標は切れない。
 11kmからの4キロは向かい風1キロ、追い風3キロのコースになる。
 12kmまでは向かい風であるが、残り500mくらいの風は今日一番に]感じられるほど強い。
 風をかき分けて進むといった気分になる。
 スタミナを使い切る感じである。
 しかし、ガマンすればラスト3kmはこの強い追い風をうけて、1時間45分は切れるだろうと予測する。
 が、である。
 追い風コースに入ったとたんに風がやんでしまった。
 じょうだんだろうー!
 「ああ、天はわれを見棄てたか」である。
 なんとか13kmポイントを通過する。
 残り13分30秒、ということはキロ6分45秒で行かねばならない。
 至難の技。
 ガンバルのだが、前に進まない。
 やっぱり」ダメか?
 やっぱりだめだった。
 17秒オーバーしてしまった。

【15km 1時間45分17秒 7:01/km】
 5km   34:31    34:31
10km   35:37   1:10:08
15km   35:09   1:45:17

【前回 1月22日 15km 1時間43分42秒 6:55/km】
 5km   35:04    35:04
10km   34:06   1:09:10
15km   34:32   1:43:42

 ベンチに転げ込む。
 そしたらなんと強い追い風になる風が吹き始めたではないか。
 15分前から吹いてくれたら、風に乗れたのに。
 ベンチに]横になりながらうつらうつらが出そうになるほど心地よい風である。


 かみさんは1時間14分丁度とのことであった。
 新しいランニングシューズで走ったと言う。
 感想は「かななか具合がいい、さすがニューバランス」。
 私は旧来の、若干ブカのものである。
 新シューズの使用はまだ先のことである。


● 今日の15kmフィニシュの映像


【後日のおまけ】
『
ニューズウイーク 2016年2月22日(月)16時12分 印南敦史(書評家、ライター)
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/02/post-4564.php

謎の長距離走大国ニッポンで「駅伝」を走る
日本人ランナーがなぜ強いかを調べにやって来た(そして、走った)英国人ジャーナリストの興味深い体験記『駅伝マン』



 『駅伝マン──日本を走ったイギリス人』(アダーナン・フィン著、濱野大道訳、早川書房)
の著者は、イギリス『ガーディアン』紙の編集者兼フリーランスジャーナリスト。
 ケニア滞在経験を記した『ケニア人と走る』(Running with the Kenyans 日本語未訳)が高く評価された実績を持つそうだが、つまりはその延長線上で、今回は日本の駅伝をターゲットに選んだということ。

 原点にあるのは、長距離走の世界の外にいる人たちが見落としがちな、
 「日本ではなにかが起きている」
という思いだったとか。
 事実上、世界中の大規模なロードレース大会の優勝者はケニア人かエチオピア人のランナーで、誰もその牙城を崩せない状況にあるらしいが、そこに現在、日本人が闘いを挑んでいるというのである
注:(2013年時点の最新の男子マラソン世界100傑のうち、
アフリカ出身者以外は6人のみで、そのうち5人が日本人なのだという)。
 たしかに素人には意識しづらいことでもあるので、最初の段階から興味を抱くことができた。

 ともあれ著者はそんな理由から、家族を引き連れて来日することになる。
 ところが日本語はまったくわからず、 "生まれながらの冒険家"である妻のリクエストを受け、ロシア経由で列車に乗ってこの国を目指したというのだから、その時点ですでにぶっ飛んでいる。

 ちなみに目的は、日本に半年間住んで、駅伝シーズンを経験し、あわよくば実業団チームに同行したいというもの。
 かくして日本に到着してからは京都に家を借り、ふたりの子どもをシュタイナー学校に通わせ(イギリスで通っていたのもシュタイナー学校だったため、子どもたちを戸惑わせなくてすむと考えたのだそうだ)、その時々に出会った人たちとの交流のなかから少しずつ人脈を広げていく。

 おもしろいのは、「あとから気づくと、京都が駅伝競走の発祥の地だった」という話だ。
 江戸時代には京都と東京(江戸)間を走っていた飛脚は、届ける書簡を宿場で別の飛脚に渡し、次の区間へと引き継ぐことも多かったという。
 つまり、この制度に想を得て生まれたスポーツが駅伝競走だったのだ。

 それにしても不思議に思ったのは、"外国人"である著者の目に駅伝が特別なものとして映っていることである。

 駅伝は「和」の精神を完璧に具現化する競技だった。
 駅伝チームは、すべての参加者が自分の役割を果たして初めて勝利を得る。
 つまり、全員がチームのために一丸となって闘わなくてはいけない。
 それが当時の日本人の精神と合致し、少しずつ駅伝の知名度が上がり、マラソンを凌ぐほどの人気を博すようになったのだった。(51ページより)

 もしかしたら、これまで私が鈍感すぎただけなのかもしれない。
 しかし個人的な感覚からすると、駅伝は"正月を祝っているときにテレビで流れているもの"であり、それはそれで見ていて楽しいのだけれども、そこに日本人の精神が反映されているかどうかなど考えたことがなかった。
 だから著者の思いには新鮮なものを感じたし、その思いが本書にリズム感を与えていることも間違いないだろう。

 また、それ以前に、著者自身の「走る」ことへの思いも重要な意味を持っているように思える。
 ライターとしての取材という目的だけでなく、そもそも著者のなかには、走ることへの純粋な欲求が根ざしているのだ。
 だから
 「琵琶湖での駅伝に参加するメンバーが足りないから、参加してみませんか?」
という誘いを受けるや、「これこそ、ずっと待ち望んでいた瞬間だった」と感じて快諾するなど、ここでは自身のランナーとしての立ち位置も大きな要素として機能しているのである。

 なぜ自分が走るのか自問することがよくある、と僕は彼女に伝えた。
 (中略)誰かに強制されたわけでも、頼まれたわけでもない。
 僕が走ろうが走るまいが、誰も気にしやしない。
 それでも、僕はいつも走る。
 何かが、僕を突き動かすのだ。(108ページより)

 そして著者はこうも主張する。
 自分のなかのなにかとつながるために走っているのではないかと。
 走るという行為はシンプルで、純粋なまでに無慈悲なものだそうだ。
 走ることによって世俗的な層が剥がされ、その下にある生の人間があらわになる。
 それは得難い経験であり、自分の力を試される機会で、一種の自己実現でさえある。
 走るという行為に対してここまで純粋でいられるというのは、ちょっとばかりうらやましくもある。

 ところで本書には、そのストーリー性を"偶然"際立たせている要因がある。
 読み進めながら感動的なクライマックスが訪れるであろうことを疑わなかったのだが、結果的にそれは訪れなかったのだ。

 日本滞在期間のクライマックスにあたる富士宮駅伝に出場することを決めた著者は、彼とともに参加するチームを<エキデン・メン>と名づけて期待を膨らませるのだが、そこには望まない結果が待ち受けていたのである。

 運転手の野村は帽子をうしろに傾けてかぶり、片手でハンドルを握っていた。
 そのとき、彼の携帯電話が鳴った。(中略)通話を終えた野村は、何も言わずにまえを見据えた。
「何か問題?」と僕は訊いた。
 初め、彼は答えようとしなかった。
 車内の全員の視線が野村に向けられた。
 「大会が中止になりました」
と彼はやっと口を開いた。
 「ひどい雪らしくて」(320ページより)

 結果論かもしれないが、富士宮駅伝が中止になって目標が失われたことが、作品に立体感を加えている。
 涙が出るほど感動的なドラマがあるわけではなく、むしろ喪失感だけを意識させるからこそ、逆に著者の思いが浮き立っているのだ。
』

『
サーチナニュース 2016-02-29 08:11
http://news.searchina.net/id/1603517?page=1

これぞJAPANクォリティ!
東京マラソンは「極致」の大会だ=中国

 近年、中国では健康への関心が高まっており、マラソンやランニングを趣味にする人も増えている。
 また、近年は中国でマラソンブームが起きており、深刻な大気汚染のなか健康づくりのために走るという皮肉な状況もあるようだ。

 世界6大マラソンの1つに数えられる東京マラソンが28日に開催されたが、中国メディアの今日頭条はこのほど、東京マラソンは非常に魅力的な大会であるとし、その背景をランナーの視点で考察している。

★:まず1つ目の点は「高水準の組織力」だ。
 東京マラソンには数多くのボランティアが運営を支えるが、担当する役割に応じてボランティアウエアが色分けされていると記事は紹介。
 東京マラソンは世界規模の大会であり、参加ランナーは日本のみならず、世界から集まる。日本語が分からないランナーも多いなかで、外国人ランナーは必要とするボランティアを色で見分けることができ、運営側もボランティアを指揮管理するのに大いに役立つことを称賛した。

★:さらに、沿道に詰めかける多くの応援、観戦者もレース参加者にとっては魅力の1つのようで、新人ランナーだろうと高齢のランナーだろうと「あたかも有名マラソン選手のように沿道からの声援を受けることができる」は説明。
 こうした声援を受けることができるレースは確かに参加者の喜びを大きく増し加えるだろう。

★:また、42.195キロメートルのコースに展開する東京の独特の景観を楽しみながら走ることができることも外国人ランナーにとっては魅力の1つ。
 伝統的な建物と摩天楼が調和した景観、また音楽隊の演奏などレース中は「決して退屈しない」と指摘しているほか、コスプレランナーたちの参加も非常に好意的に描写している。
 昨今はコスプレに対する規制が強化されてしまったが、コスプレランナーについては「日本人の知られていない一面」と述べ、笑いをとる目新しい方法だと紹介している。
 コスプレ自体も日本独特の文化だが、コスプレしてマラソンに参加する行為に対して、外国人ランナーは日本人独特のユーモアの感覚を感じるようだ。

 マラソン自体は基本的に走る道さえあればできる非常にシンプルなスポーツなだけに、大会はどの国にとっても開催しやすいものだ。
 実際、マラソンブームが起きている中国でも、多くの都市でマラソン大会が実施されている。
 だが、「段取り八分」と言われるように、運営側の能力や努力が大会の成功を大きく左右するのは明白だ。
 行き届いた配慮を得意とする日本人らしさが東京マラソンの運営にもはっきり表れている。
』


_



2016年1月22日金曜日

1月22日::にこたまジョギング 10.0km=1時間14分50秒 : 新しいランニングシューズを買う 

_



明日から天気は荒れるというので今日出かけていった。
中4日の休みである。
3日の休みだときついが、4日ならほどほどである。
前回の疲労に悩まされることはない。

  気象条件は前回より悪い。
雲がなく、陽射しにいたぶられそうだと覚悟する。
地べた風があるので向かい風なら身体を労ってくれる。
1キロ通過が「7分37秒」とすこぶる遅い。
これを考慮して目標を設定する。
これまで「100分走」ということでやってきた。
15kmだとキロ6分40秒になる。
しかし、これは真夏時にはムリなことがわかってきた。
そこで夏一杯は、キロ7分で15kmを「105分:1時間45分」で走り切ることを目標にする。
まずは、絶対に無理はしないことを脳裏に刻み込む。
3キロ過ぎから陽射しとのぶつかり合いになるが、風がそれを和らげてくれる。

5kmは「35分04秒」
ほぼドンピシャである。
スピードは出さない、前は見ない、常に地面をみて遅くとも安定したスピードで行くことにする。
入りの1kmのタイムを考えるに残りの4kmはキロ6分50秒ほどで走ったことになる。
ジョギングというより、老人の健康マラソンに近い。
これで十分である。

中間点では「51:43」である。
単純倍なら、1時間43分30秒ぐらいがフイニッシュタイムになる。
1時間45分は切れそうである。

10kmは「1時間09分10秒」。
この5kmは34分」少々」で計算通り。
このスピードで終盤の5kmを行けば「1時間43分30秒」はいけそうである。
でも実際はそうはならなかった。
ラストの3kmが向かい風になり、34分の目標を少々オーバーしてしまった。
でも平均ではキロ6分55秒ほどで走れてはいる。
まあ、こんなところだろう。

【15km 1時間43分42秒 6:55/km】
 5km   35:04    35:04
10km   34:06   1:09:10
15km   34:32   1:43:42

【前回 1月17日 15km 1時間45分09秒 7:02/km】
 5km   35:02    35:02
10km   35:47   1:10:49
15km   34:20   1:45:09

カミさんは「1時間14分50秒」でぎりぎり1時間15分を切った’という。
陽射しの強さを除けば、そこそこの日和である。
でも陽射しに強さは夏の最盛期ではしかたがない。


【おまけ】
午後、ハーバータウンへ行った。
ちっとニューバランスを覗いたのがいけなかった。
ついつい買ってしまった。
それが下の靴。


● 新しいランニングシューズを買う

先にも書いているが、先月、つまり昨年の12月から新しいシューズで走っている。
なのに1カ月半ほどしか経っていないのに、またなぜシューズを買うのかということだが。
実をいうと安売りをやっていたのである。
といっても、宣伝をする安売りではない。
こっそり特定の商品だけの値下げてある。
これ、昨年買ったときどちらにするか迷った片割れである。
このときは80ドルであった。
しかし、それが今日50ドルで売っている。
となるとどうしても手が出てしまう。
今使っているのはどういうわけか足幅が広く、うまく馴染んでいない。
といっても数回走ってみれば足がそのクセを覚えるようになっていて、さほど気にはならなくなる。


● 右は今使っているもの。

寸法は「7」で同じなのだが「wide」という欄があってこれが違う。
下は昨年買った少々幅広のシューズのラベル。


● 「XWIDE T.LARGE」とある。
ついでにいうと、190ドルの製品を100ドルで買ったことになる。

つぎに今日買ったシューズのラベル。


● 「WIDE LARGE」とある。
ついでにいうと、190ドルの製品を50ドルで買ったことになる。

 つまり、靴の寸法には長さのほかに、足幅の寸法があるのである。
たまたま同じ寸法のものが2つあったのでよくよく見たら、「wide」という項目があるのである。
 これまでそのことは全く知らなかった。
 履いてみて合うものを買ってきただけである。
前回は長さ寸法だけに留意して、幅のことを全く失念していたということになる。
 
 元値が190ドルでそれが80ドルなら安いとなる。
 さらに50ドルとなれば買っておいて損はない。

 この50ドルでランニングシューズが買えるという話をしたら、カミさんもニューバランスへ出かけていった。
 しかし、この50ドルサービスをしているのは2種類の商品だけである。
 カミさんのサイズはこの50ドルコーナーにはない。
 しかし、その横の80ドルコーナーにぴったりのはあった。
 そろそろ交換時期にきており、買い換えたいと思っていたようですぐにこれを購入した。
 サイズ「6」というのはなかなか見つからないので買えるときに買っておこうと思ったらしい。 



● カミさんも買う

  ちなみにいうとカミさんのシューズは150ドルで、それが80ドルになっている。
 190ドルが50ドルとはずいぶんと値引き幅に差がある。
 「50ドル目玉商品」ではなかったということである。

 なを、カミさんは次のジョギングではこれを使うという。
 私にはすぐにう予定はない。
 というのは今のものはなしろ履きおろして間もないシューズである。
 レース向けの練習に入ったときに使おうと思っている。
 それまでは、幅広靴で走っていようと思っている。
 使用をやめるのは100ドルはもったいない。
 50ドルぶんくらいは使ってから交換しようと思っている。



2016年1月17日日曜日

1月17日::にこたまジョギング 10.0km=1時間13分**秒 :  『走り初め』の祝い酒を

_

● 今年初めての15km:キロ7分の走り

 前回のアクシデントから以降、「気温が低く、陽射しが弱い日」に限って走ること、という条件を暫くの間つけることにした。
 そんな縛りに適合する日が今日であった。
 確かに気温は低いが、陽射しは雲の隠れているが、いつ何時快晴状態になるかはわからない。
 でも、そんな未知の状態を考えても始まらない。
 少なくとも、ここ数日の中では最高のランニング日和であることは今は確かだ、と思い切る。

 1キロは7分16秒。
 陽は雲に隠れている。
 夏の蒸暑さはない。
 少々風がある。
 えらく調子がいい。
 今日は前回のリベンジでなんとしても(?)15kmを走り切ることが目標になる。
 そしてできたら、夏場なのでキロ7分で「1時間45分」を目指したい、ということになる。
 前半は無理をしない。
 陽が出て、そのまま雲が消えれば、アッという問に走れなくなる。
 落ち着いて、最後の5キロを走れるようにスタミナの温存に努めるべきなのである。
 5キロ手前から案の定陽射しが刺すようになってきた。
 だが今日はそれを相殺するほどに風が吹いている。
 追い風で感じるほどの「地べた風」である。
 これが陽射しを抑えてくれる。
 向かい風ではスピードはガクンと落ちるが、スタミナを奪われることはない。
 風が止まるとスーと足が出る。

 5kmは「35分02秒」。
 キロ7分想定なので、ちょうどピッタンコ。
 5kmから6kmのテスト区間は「6分47秒」。
 ちょうどいいくらい。
 がである。
 中間点でタイムを見たら「56分36秒」とある。
 単純に倍すると、フィニッシュは「1時間53分」になる。
 これではまるでキロ7分は切れない。
 走りきれるかが問題になってくる。
 体がおかしくなっているのだろうか。
 何か心配である。
 でも自覚症状はない。
 前回の中間点では、確実にヤバイを感じて、距離を13kmへ変更している。
 しかし、今回はそんな感覚は感じていない。
 でも、何かおかしい。
 たった2キロ弱で4分も遅れるものなのか、ありえない。

 考えてみる。
 タイムは正しい。
 カシオの時計が狂うはずがない。
 とすれば、私の方だが体調が極端に悪くなったとは思えない。
 走り始めと同じような動きできている。
 ああでもない、こうでもないと考えてやっと分かった。
 なんと600mほど余計に走っていたのである。
 というのは、距離をあわせるために1カ所重複コースがある。
 あるポイントで折り返して次のポイントでまた折り返して、このポイント間の往復距離を加算して所定のランニング距離を作り出しているのである。
 ところがこのポイントを間違えて、往復で600mほど走るところを、1200m走っていたのである。
 これでは確かに4分の差はでる。
 なんでこうなったかというと、全長6..5kmの遊歩道をコースで使っているのだが、スタート・フィニッシュはほぼその中間にある。
 往復しても13kmにしかならないので、どこかで重複コースを作ることになる。
 また時に、このコース北側の部分だけを使って走ることもある。
 そのときも距離調整のために重複コースを使う。
 この2つの重複コースで間違ったのである。
 本来なら全長13kmでの重複コースを走るべきなのを、勘違いして’北側コースのみでの重複コースを走ってしまったのである。
 結果として600m、4分ほど余分に走ってしまったので、これを南の折り返し調整して元に戻すことにする。

 10kmは「1時間10分49秒」
 それでもやはり前半より遅れてきている。
 残り5kmでいくらかでもスピードアップする。
 これなら15kmの完走は問題ない。
 とすればあとはキロ7分でいかれるかどうかである。
 フィニッシュは「1時間45分09秒」で「9秒」オーバーしてしまった。
 でも、15km走りきれただけでもメッケものである。
 夏場は、キロ7分が目安になりそうである。

【15km 1時間45分09秒 7:02/km】
 5km   35:02    35:02
10km   35:47   1:10:49
15km   34:20   1:45:09

【前々回 12月30日 15km 1時間43分37秒 6:55/km】
 5km   37:33     37:33
10km   34:10   1:11:43
15km   31:54   1:43:37

  かみさんは1時間13分台とのこと。
 「今日はとっても走り易かった」
という印象であったと言う。
 1時間13分というとかみさんのタイムでは速いほうに分類される。
 今日は相当に条件が良かったということになる。
 この団地の管理人のオッサンがコースにしている遊歩道を歩いているのに会ったという。
 これまで、3度ほど会っているという。
 ジット見ながら走ったが、向こうは全く気づかなかったという。
 まさか、団地の住人が走っているなどとは思ってもみないのだろう。


  夜は前回『走り初め』が失敗して飲むのを控えていた貰い物の日本酒だが、1本お祝いに開けた。





2016年1月10日日曜日

箱根駅伝は、ただ走る姿になぜ感動するのだろう: 『箱根駅伝 ナイン・ストーリーズ』 文春文庫

_

●『箱根駅伝 ナイン・ストーリーズ』(生島淳・著 文春文庫)

『
JB Press 2016.1.9(土) 幻冬舎plus
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45725

箱根駅伝は、ただ走る姿になぜ感動するのだろう
読んでも泣ける『箱根駅伝 ナイン・ストーリーズ』
幻冬舎が運営する刺激と感動のマガジン&ストア「幻冬舎plus」から選りすぐりの記事をお届けします。

◆注目される選手もいれば、影で支える主務もいる

忘年会は2次会まできっちり付き合うのがコグマのモットー。
今夜はカラオケボックスにいる。
部下A::「コグマ部長、いつもの入れてくださいよ~」
コグマ::「いやいや、若い人で歌えよ」
部下B::「いつものアレ、聴きたいっす!」
コグマ::「え、マジか!? じゃあ、しょうがねえな、リクエストにお応えして、歌っちゃおうかな~」

お約束のやり取りの5分後にはいつもの歌を熱唱だ。
義理でリクエストしてくれているのは分かっている。
だって俺が歌い始めたら、トイレ行ったり、携帯チェックしたり、飲み物追加してんだもん。

それにしても、これはいつ聴いて(歌って)もいいなあ。
尾崎豊の「15の夜」だ。
「ぬーすんだバイクで走り出す~ 行き先も解らぬまま」。
この名曲はちょうどコグマが15歳の時にリリースされたんだよな。
思えばコグマも47歳。
15歳を3回やってもまだ2歳余るぞ。
っていうか長男がリアルに16歳になってたんだ。
まさかバイク盗んだり、
「校舎の裏 煙草をふかして見つかれば逃げ場もない」
なんてことは絶対しないでくれよ~。

毎年のことだが、年の瀬になると、バタバタ気ぜわしいのやら、やり残した仕事の後悔でガラにもなく憂鬱な気分になるのだった。
だから忘年会ってあるんだよな……、そんなことも思いながら歌っていると、ちょっと切なくなってきたが、なんとか踏みとどまる。
大丈夫だ。
来年こそは、走り出せそうな気がしてきた。
年末にぴったりの1冊に出会えたからだ。

『箱根駅伝 ナイン・ストーリーズ』(生島淳・著 文春文庫)だ。
今年もこの季節がやってきた。
今や日本の正月の風物詩でもある学生駅伝をテーマにしたノンフィクション。
自分がたとえ倒れてでもタスキをチームメイトにつなぐ。
その思いだけで東京と箱根の往復200キロ超を全10人のランナーが必死に走るのだ。

◆脈々と受け継がれる山の神の系譜

昨今の箱根駅伝でよく聞くフレーズは「山の神」だろう。
往路の最後となる五区はほとんどが登り坂で、この坂道を駆け抜ける強者に与えられる称号だ。
「初代」は順天堂大の今井正人。
2年、3年と5区を任されそれぞれ区間新記録を達成。
それも2年の時には11人抜き、3年の時は5人抜きだ。
ちなみに1年の時には「華の2区」も走っている。
そして2007年の正月。
4年になった今井の最後の箱根だ。
そこで前年の自分の記録を更新して往路優勝を成し遂げる。

そして2代目・山の神は東洋大の柏原竜二だ。
柏原と今井はともに福島県出身。
柏原が東洋大進学を控えた高校3年の1月、全国都道府県駅伝で同郷で先輩の今井とチームメイトになった。
ここで柏原は箱根への熱い思いを今井に明かす……。

その日から1年弱。
柏原は1年にもかかわらず5区を任された。
だが、東洋大は後れをとった。
柏原がタスキを受けた時点でトップの早大とは約5分差の9位。
それまでの箱根の常識では逆転できるのは2分半まで。
だが、柏原は違う。
1人、また1人と抜き、やがて早稲田の選手の後ろ姿が目に入ってきた。
ここからの著者の描写が素晴らしい。
臨場感あふれる筆致だ。
引用しよう。

「エンジのユニフォームが大きくなる。
追いつける。
抜けるーー。
ダメだ。
これ以上、ギアを上げられない。」
「柏原はちょっとだけ、自分に休むことを許した。
少しだけ並んで走り、ひと息つこう。
呼吸を整え、充電してから、また走るぞ。」

手に汗握るレース展開が目に浮かぶ。
やがて早稲田を抜き去りゴールを切ったが、そのタイムが凄かった。
初代の記録を一気に47秒も書き換えたのだった。

そして5年後の2015年、3代目は青山学院大に降臨する。
神野大地、3年生。
駒沢大に続く2位という好位置でタスキを受け取った。
もともと努力するタイプだったが、1年の時には怪我に泣いた。
しかし2年では2区を担当。
そして3年の箱根。
体調はベスト。
2位で走り出した神野は軽やかに前に進んだ。
選手からするとほぼ崖のように見えるコースを気持ちよさそうに駆け上がっていく。
やがて先行する駒沢大を捉えた。
この年からコースが変わったために前年の柏原のタイムと単純比較はできないが、その記録を上回るペースでゴールにたどり着いた。

こうして山の神の系譜は脈々と受け継がれていく。
そして2016年。
4年になった神野の走りはどう完結するのだろうか。
それとも新しい山の神が現れるのだろうか。

◆縁の下の力持ち「主務」を務める4年生

普通のスポーツモノであれば、スポットライトのあたる選手の話で終始する。
だが、著者のまなざしは優しく、例えば青学であれば主務という縁の下の力持ちの役割を担う4年の高木にも取材をしている。
もともと有力選手だったが1年のときに疲労骨折。
治ってもなかなか高校時代のベストを更新できない。
2年になり再度骨折したことから選手生活をあきらめてマネージャーの道を進んだ。
箱根で走ることを目標に九州から上京したのはわずか2年前だった。

著者は
「周りからも期待されていると感じたし、いまになって親、高校の恩師に『マネージャーになりました』と話し、そこに落胆の表情を見るのは切なかった」
と記す。
逡巡があったのは想像に難くない。
しかし、高木は前向きに考えた。自分は走ること以外のことでチームの優勝に貢献しようとした。
新しいトレーニング法を取り入れ、部内のミーティングも活性化させた。
結果、体幹は鍛えられ、またどんな場面でもはっきりモノを言えるメンタルを身につけるのに役立った。
こういう高木のような学生のひとりひとりの活躍のもとに箱根駅伝が成り立っているという当たり前のことがしみじみと伝わってくる。

読み進めるうちに学生たちの喜びに歓喜し、困難にぶち当たる姿に思わず目頭が熱くなる。
もちろん、山の神と青学の話だけではない。
各校の指導者の箱根への思い、最後のラストスパートでコースを間違えた選手の顛末、新興校の奮闘と伝統校の葛藤など9編が読者の涙腺を容赦なく刺激してくる。

さあ、間もなく号砲が鳴る。
2016年の箱根はどんなストーリーを見せてくれるのだろうか。

(注:本稿は2015年12月31日に「幻冬舎plus」で公開されたコラムを転載したものです)
コグマ部長(こぐまぶちょう)
某中小企業の中間管理職。人生において大切なことはすべて「課長・島耕作」と「ホイチョイ・プロダクション」から学んだ47歳。またバブルが来るんじゃないかと真面目に信じている。【Twitter】https://twitter.com/kogumabuchou
』

  関係大学に務める友人から箱根駅伝の雑誌と新聞が送られてきた。




● 往路優勝青山学院大学

● 往路3位駒沢大学 萩本欽一は駒沢大仏教学部の学生である


 雑誌が送られてきたとき出したお礼状。
 3枚のうちの最初と最後のページ。
 2ページ目は省略。

『
  

<<2ページ目 省略>>


』

下は新聞が送られてきたときに添えられていた手紙。

『

』


【資料】
『
レコードチャイナ 配信日時:2015年1月8日(木) 4時14分
http://www.recordchina.co.jp/a100105.html

日本人作家、三浦しをんの小説「風が強く吹いている」が中国上陸―中国メディア


 2015年1月4日、村上春樹はマラソンは文芸であり、一人での自分との対話だと語っている。
 三浦しをんにとってマラソンは情熱であり、青春の思い出でもある。

 三浦しをんが6年かけて書いた小説「風が強く吹いている」が1月に中国に上陸する。
 同作品は日本の作家、三浦しをんの代表作のひとつで、長い歴史を持つ箱根駅伝をテーマに寛政大学の学生らが住むアパート「竹青荘」に住む10人がゼロから「箱根駅伝」を目指すストーリーだ。
 同作品は映画化もされている。

(提供/人民網日本語版・翻訳/YH・編集/武藤)
』








2016年1月7日木曜日

1月07日::にこたまジョギング 10.0km=1時間18分**秒 :悲惨な『走り初め』、「まだ、走れそうね」 の一言で地獄に

_

● 昨日届いた『飲みくらべ』という3種のお酒


 カミサンの
 「まだ、走れそうね」
の一言で夏休みはぶっ飛んでしまった。

 12月中旬までは暑かった。
 だが下旬になって一転涼しくなった。
 それが2週間ほど続いた。
 これがよくなかった。
 今年の夏は例年よりは涼しい、と思い込んでしまったのだ。

 気温は低かったのだが、朝陽がある。
 これは日差しとの闘いになるなと、すぐに分かった。
 目標は何とか15kmを走りきること、に設定した。

 はじめの1キロは「7:18」で非常にいい。
 5kmを順調に通過。
 「34:04」である。
 悪くはない。
 5kmから6kmの1キロタイムゾーンでは「6:35」で至極順調。
 だが、運はここまでである。
 強い陽射しが身体をいたぶりはじめた。
 みるも無残に身体が動かなくなってくる。
 スピードが急転直下の如く落ちてくる。
 こんなに急激に動けなくなるものかと自分自身もアキレてくる。
 これはダメだ。
 13kmに距離を変更。
 9km手前では、13kmはとても無理と感じる。
 9kmを折り返して、何とかゴールまで走りきって、11kmでまとめようと思う。
 10kmの通過は「1:13:15」。
 ということは、この5kmは「39:11」かかっている。
 6kmまでは順調だったということだから、6kmから10kmまでキロ8分以上かかったことになる。
 何おかいわんやである。
 ラストの1kmを「7:43」で走ってリタイヤする、ということなってしまった。

【11km 1時間20分58秒 7:22/km】
 5km   34:04     34:04
10km   39:11    1:13:15
11km     7:43    1:20:58

【前回12月30日 15km 1時間43分37秒 6:55/km】
 5km   37:33     37:33
10km   34:10   1:11:43
15km   31:54   1:43:37


 カミさんもスピードダウンを余儀なくされて「1時間18分台」という。
 今日は厳しい日になってしまった。
 新年の『走り初め』である。
 今年が思いやられるかも。
  『走り初め』なのでお祝いに飲もうかと思っていたお酒だが、しばらく延期である。
 夏休みの予定が走ることになったしまったが、今日のような日はさけて、涼しい日つまり曇って陽射しを遮るような気象条件の日にしてもらいたいものである。
 といっても、神様が決めることでどうにもならないが。
 途中でお天道様にやられることを予め考慮にいれて置かねばならないということである。



2016年1月3日日曜日

【オマケ】気分はもう山の神!? 箱根駅伝を愛する女編集者が、あの山上りにトライした結果……

_

『
現代ビジネス 2016年01月02日(土) 花房麗子
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47226

気分はもう山の神!?
箱根駅伝を愛する女編集者が、あの山上りにトライした結果……

 いよいよ箱根駅伝が始まる。
 近年のランニングブームに伴い、最近では観るだけでは飽き足らず、実際に箱根を走るランナーが増えているという。
 女編集者・花房麗子もその一人(「箱根駅伝を愛しすぎて、箱根に別荘を買ってしまった顛末」については、前々回、前回を参照ください)。

 走ってみて分かった、箱根駅伝の魅力と見どころとは…?

◆箱根に挑む市民ランナーたち

 今や10万人申し込む東京マラソン。
 その一番の効果は、
 ごく限られた人だけが可能であると思われていた42.195kmを誰もが走ることができると知らしめたこと
だと思う。
 その余波は箱根駅伝にも波及している。

 「箱根の山上り」にたくさんの一般ランナーが挑戦するようになっているのだ。
 あの人間業とは思えない箱根の山上りは、走ってみると一体どんなものなのだろう?
 「山の神」の気分だけでも味わおうと、
 週末になると何人、何十人もの市民ランナーが天下の険を駆け上がっている。


●上の写真は箱根駅伝ゴールの1kmほど手前を走る市民ランナー。
 ちなみに、ちょうどこのあたりはブレーキを起こした選手たちが倒れ、無念のリタイヤとなることも多い「魔の場所」だが、このランナーたちは軽々と超えていった。

 手前にあった芦ノ湖畔のコンビニで見かけたから、きっと栄養補給も万全だったのだろう。
 選手たちと違い、沿道のコンビニなどで立ち寄りながらゴールを目指しても、もちろん何ら悪いことはない。

 箱根にチャレンジする市民ランナーの人数は、東京マラソンを機に年々増えているように感じる。
 箱根山中を数人でたすきをつないで「駅伝気分」を楽しむ「チーム山上り」も人気だ。
 もちろん、箱根駅伝の選手たちほどのスピードは出せなくとも、脚力の向上には確かにつながる。

 かくいう私も、東京マラソンに出る前にトレーニングの一環として箱根の山上り・山下りに何度かチャレンジしてみたことがある。
 フルマラソンでは4時間半程度のタイムしかもっていないので、走るというより這うように山を上っていったが、それでも後日、社内の同好の士の集まりで「箱根の山、私も上ってみたことあるんだよね~」というと、「エエッ! すごいですね!」と非常な尊敬の目で見られた。

 その席には、東京マラソンをサブフォー(フルマラソンを4時間以内)で走った同僚もいたのだが、尊敬度はたぶん10倍ぐらい違ったと思う。
 彼はよほど悔しかったのか、その後、すぐに箱根の山トレにチャレンジしていた。

◆走ってみて気づいた箱根の「艱難辛苦」

 本題から逸れてしまった。
 何が言いたいかというと、
 箱根の山はどんなにノロノロとしたランニングであろうと、体感してみて初めてわかることがたくさんあった
ということだ。

 走ってみると、山また山だと思われていたコースにも、様々な変化があることがわかる。
 まず箱根湯本までの「平地」区間があり、函嶺洞門(かんれいどうもん)を過ぎると道は上りの傾斜になってくる。

 ところが、思っていたよりここからしばらくは上りやすい。
 というのも、塔ノ沢を過ぎると1号線は大きなカーブの連続となり、少しづつ、少しづつ高度を上げていくからだ。

 距離は踏まなければならないが、右に左にと曲がりながら、常に目線の先には「次のカーブ」「また次のカーブ」と目標が現れるので、リズムが取りやすい。
 その最たるものが大平台のヘアピンカーブ。それまで両側に鬱蒼とした木々が広がるだけだったさびしい1号線が、打って変わってカーブの上下に大きく視界が広がり、「大平台に来た」という感じがする。


●毎年、大平台のヘアピンカーブに掲出される中央大学の横断幕。地元民にとっては、ヘアピンカーブには中央大学、というおなじみの光景

 しかも、大平台を過ぎて宮ノ下に入る直前、いったん道がフラットになるのである。
 ここまで上ってきたランナーにとっては、このフラットは下り坂かと思えるほど、一息つける「楽な道」だ。
 正直言って、ノロノロ足を運びながらも「おお、意外とやればできるじゃないか、箱根の山上り!」と私も思ってしまった。

 ところが、宮ノ下の交差点を曲がった瞬間から、1号線の様相は一変する。

 ここまで大きくカーブしながら徐々に高低差を稼いできた道が、ほぼ直線に近い線を描いて、一気に傾斜がきつくなるのだ。
 宮ノ下までは足を前に出していた感じだったが、宮ノ下から先は文字通り、足を「上」に引き上げていかないと、とても前に進んでいかない。

◆最大の難関は、やはりここだった

 ふがいないことではあるが、宮ノ下の交差点を過ぎて、消防署に至る前あたりで、私はついに止まってしまった。

 そこまでも端から見ればほとんど歩いているようなペースだったとは思うが、自分の中ではちゃんと足を運んでいるつもりだったのだ。
 だが、もはやまったく足を前に出せなくなった。

 箱根の山道はランナーだけでなく、サイクリングのロード強者たちをも魅了している(箱根駅伝でも、最終ランナーが通って交通規制が解除された後、かなりの数のロードバイクが追走してくる)。

 が、見ていると、おおかたのサイクリストがこの宮ノ下から小涌谷までの道を越えられていない。
 格好いいサイクルジャージに身を固めた若者が、ハァハァと肩で息をしながら無念の表情で自転車を降りて坂を押して上がっているのは、なかなか哀れを誘う。

 ここは、5区走者が「山上り」にふさわしい者であるかどうかをもっとも試される区間なのだろう。
 過去、「山の神」たちの多くは、ここで先行するランナーを捉え、併走者を振り落としてきた。


●大学2年時(2010)、先頭走者だった明大を捉えて一気に突き放す東洋大・柏原の有名な「ガッツポーズ」場面。宮ノ下と小涌谷踏切の中間あたりだった。写真提供・陸上競技社

 1号線はもともと車道として作られている。
 見通しのよい直線になると、車が遠心力を受けることがなくなるので、道は狭くなり、車1台がすれ違うだけの幅しかない。

 車道を走れる箱根駅伝ランナーに、道幅は関係ない、と思うだろう。
 ところが、これが関係大ありだった。
 それが明らかになったのが、じつは前回のレースだ。

 レースの行われる前日、つまり元旦の夕方。
 箱根山中では夕方から突然、バケツをひっくり返したような勢いで雪が降った。

 箱根神社に破魔矢を取りに行っていた私は、芦ノ湖に照り返る見事な夕焼けを見て、「おおニッポンのお正月だ」と、何かのキャッチフレーズのようなことを口走っていたのだが、車を駐車場に駐め、神社の参道にさしかかったぐらいで雪が降り出した。
 雪は、90段程度の石段を上がる間にみるみる強くなり、90段の石段を上がって本堂にたどりついた時には10cmもの積雪になっていたのだ。

◆ランナーたちを苦しめるあの「風」

 その時の私および周囲の参拝客の有り様を表現すると、かつて『オレたちひょうきん族』の人気コーナーだった「懺悔室」を思い出してもらうのが一番いいと思う。
 もちろん、神様から×が出たときのほうで。

 神社から出て見ると1号線には、降り積もった雪にタイヤをとられた車が何台もエンコしていた。
 今から思えば、翌日の大波乱は、もうその時点で決まっていたのだと思う。

 翌朝、我が家のベランダに出していた水はかちかちに凍結してタンクから流れ出てこなかった。
 ここ10年で初めてのことだ。

 箱根山中にいると、湯本に下りた時、なんて暖かいのだろうと驚くことがしばしばある。
 それぐらい山の中と箱根湯本では寒暖差が激しい。
 前回、平地も山も風はなかった。
 だが、山には一夜(というより、せいぜい1時間程度)で雪が積もった。
 あまりにも突然だったので、雪はとりいそぎ、翌日のレースに備えて脇によけられた。
 その雪が、勝負の行方を左右した。

 翌日、1号線の道幅が狭まったあたりで、先頭をゆく駒澤大学の馬場翔太と青山学院大学の神野大地が併走を続ける。


●写真提供・陸上競技社

 二人の服装とその背景を見てほしい。
 ほとんど一人歩けるか歩けないほどの歩道に雪が積もり(実際、沿道の観客たちは足の下の雪に体を震わせていた)、冷気は車道にまで漂っていた。
 道幅が広ければ、雪をよけるスペースもそれだけ生まれるが、道幅が狭いとそうもいかない。

 その後、駒沢大学の馬場が、低体温症でブレーキを起こし、あわや棄権という目にあったのは、皆様ご存じの通りである。

 もう一つ、ランナーたちが苦しめられたのは「風」。
 3区の浜風がよく知られているが、たとえ風はほとんどありません、と予報された年であっても、山には山の「風の通り道」がある。
 そこでは年によって強弱はあっても、必ず風が吹いている。

 最も風が強いのは、「芦の湯」の直線コース。
 風速18mの風にやられて城西大学と中央大学が棄権した第89回大会では、どのランナーももがきながら前に進むのがやっとやっとという状況だったという。
 私が(時折歩きながらですよ)差し掛かったときは、それほどでもなかったが、それでもフラワーセンターの幟がパタパタはためくのを睨み付けてしまった。

 鬱蒼とした山の中では寒さが、そして、視界が開け出す芦の湯~芦ノ湖では風が。
 箱根のお山は、今も昔も、そう簡単に行き交う人を通してはくれない。
』

『

●2016年 往路「山からゴールへ」
』