2015年12月8日火曜日

『ランニング思考―本州縦断マラソン1648kmを走って学んだこと』:

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 「42km」をマラソンといい、それ以上をウルトラマラソンという。
 気の遠くなるような長い距離を走るのを「スーパーウルトラマラソン」と呼んでいる。
 オーストラリア一周に挑む人も多い。
 少しずつタイムは短くなっているようだ。
 スーパーウルトラマラソンの英雄は間寛平であろう。
 『アースマラソン』と呼ばれ、検索すれが多大な映像が出てくる。



 何しろ世界一周なのだから。
 このときは、インターネットのおかげで翌日に彼の走りを見ることができた。
 なんと途中でガン治療すらもした。
  2年間の苦行だ。







● 大阪ゴール:767日目:40,940km

間寛平みたいのは特別である。
 一週間の休みが連続でとれる人はなかなかいない。
 普通は2,3日の休みをとって、コツコツ分けて走るというのが普通になる。
 例えば東海道を、あるいは中山道を3回くらいで走るということになる。


『ランニング思考
―本州縦断マラソン1648kmを走って学んだこと』
 慎泰俊著
1620円/晶文社


『
 過酷なウルトラマラソンから得た仕事と人生の教訓。
 いかなるマインドセットでレースに臨み、ふりかかるアクシデントをどう乗り越えるか?
 民間版の世界銀行を目指す起業家による、あなたの「働く」「生きる」を変えるかもしれないエクストリームなマラソン体験記。

慎 泰俊(しん・てじゅん)
1981年日本生まれ。朝鮮大学校法律学科卒業後、早稲田大学大学院ファイナンス研究科に入学、修了。
 大学院在学中からモルガン・スタンレー・キャピタルで働き始め、同社のグローバル不動産投資ファンドの運用における財務モデルの作成や負債管理システムの構築などに従事。
 2010年からはユニゾン・キャピタルに投資プロフェッショナルとして入社し、投資の実行、売却、負債リストラクチャリング他、数多くの投資プロジェクトに従事。
 金融プロフェッショナルとしてのキャリアの傍ら、2007年に認定NPO法人Living in Peaceを設立し、機会の平等を通じた貧困削減のために活動。
 2009年には日本初となるマイクロファイナンス投資ファンドを企画。国内では、親と暮らせない子どもの支援に従事し、これまで二つの児童福祉施設の新設に関わる資金調達支援、退所後の子どもの就学資金支援、政策提言活動などを行ってきた。
  2014年7月に五常・アンド・カンパニー株式会社を創業し、2015年10月時点で、カンボジア、スリランカ、ミャンマーにある子会社を通じて現地の貧困層にマイクロファイナンスを提供している。
』


『
現代ビジネス 2015年12月08日(火) 慎 泰俊
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/46751

本州縦断1648キロを完走!
ウルトラマラソンが教えてくれた「心と仕事の整え方」

 マラソンやトライアスロン、更にはウルトラマラソン(マラソンよりも距離の長いレース)などのレースにはまっている経営者やビジネスプロフェッショナルが増えています。
 もちろん私の周りにそういった知り合いが多いということもあるのかもしれませんが、周囲にはここ4、5年の間に長い距離を走るようになった人が増えました。

 それはなぜなのか。もちろん楽しいということもあるのでしょうけれども、もうすこしプラグマティックな理由もあるのかもしれません。

 私が長い距離を走るのは、もちろん走るのが好きというのもあるのですが、一番の目的は、自分の自意識を抑えること、物事を毎日きちんと続けることの二つにありました。
 つい最近『ランニング思考』という本を書いたことで、ある程度考えがまとまってきたので、そのことについて書いてみたいと思います。

■自意識やコンプレックスを退治するために走る

 私自身、10代後半、20代前半に色々なわだかまりをもって生きていたこともあり、ずっと世間や周りを見返してやろうとばかり思っていました。
 自意識がとても強く、自分の「世間ランキング」がどこまで上がるのかが気になっていたのです。

 自分がどうあるか、ではなくて、自分が周りからどう受け入れられているのかが気になり、自分が責められたりしたらそれに反論せずにはいられませんでした。
 ソーシャルメディアのフォロアー数の増減が気になったり、メディアに出たらそれがどう受け止められるのかが気になったり、しゃかりきになって周りから評価されやすい事をしようとしていました。

 自己弁護をする訳ではないのですが、逆境から這い上がってきた人間は、こんな風にコンプレックスと自意識の塊になりやすいと思います。
 もちろん、特に若い時期にはコンプレックスや自意識が人間の原動力となることはありますし、さらに誤解を恐れずにいえば、世の中で目立っている人の多くがコンプレックスと自意識の塊となっているように思います。

 ですが、自分がどうあるかでなく、自分がどう思われるかを気にする人は、自己の精神が何かに隷属しているわけで、実はとても惨めだと思います。
 そして、多くの人がその精神的奴隷状態から抜け出せないまま人生を過ごします。
 もっとお金が欲しい、もっといい人と恋愛をしたい、もっと世間から注目されたい、という様にです。
 本当はとても憐れなのですが、当の本人たちが自分を成功者と思っていることが多いのは、とても悲しいことです。

 更にいえば、自意識やコンプレックスに囚われている人は、決して自分の力を最大限に引き出すことができないと思います。
 なぜなら、
 「自分はどうあるべきか・どう行動すべきか」でなく、
 「自分がどう思われるのか」ばかり考えていたら、心の赴くところと行為を一致させられないからです。

 この自意識やコンプレックスと決別するにはどうしたら良いのでしょうか。
 色々な答えがあると思いますが、一つの方法は、自分にコントロール出来ない事象に徹底的に打ちのめされつつ、目的達成のために頑張り抜くことにあるのではないかと思います。

 私にとっては、それがウルトラマラソンでした。

■重たい自意識が落ちていった瞬間

 私のウルトラマラソンデビューは、佐渡ヶ島一周を208km走るレースでした。
 フルマラソンしか走ったことのなかった状態でこれに出走した私は、佐渡の大雨と延々とアップダウンが続く道に文字通り打ちのめされました。

 初日目の中継地点である旅館にたどり着いた頃には、歩くだけで足に激痛が走り、筋肉痛由来の熱がひどく、足の裏には100円玉サイズの見たことのないような水ぶくれがいくつもできていました。

 ここから110kmを走るのかと思うと気が遠くなります。
 でも、様々な幸運と人の優しさに支えられ、私は何とかこのレースを完走することが出来ました。
 46.5時間かけて、208kmを完走。
 
 20代最高の笑顔だった

 このレース完走後、私の精神状態には明らかな変化が生まれました。
 まず、他人からバカにされたり、けなされたりしても、気になる度合いが一気に落ちたのです。
 肩に乗っかっていた重たい自意識が、相当部分(全部とは言いません)落ちていって、ものすごく気が楽になりました。

 その少し前まで、私は、自分の人生は「なんで自分だけ」と思うことの連続だったと考えていました。
 でも、このウルトラマラソンを走り切った後には、
 「ああ、別にそんなことどうでもいい。持っているカードで勝負しよう」
と気楽に考えられるようになったのです。

 このウルトラマラソン経験がどういう理屈でもたらされたのかというと、こういうことなのではないかと思います。

 徹底的に打ちのめされる経験をして、心の底から自分のちっぽけさを思い知りながら、それでも目指すゴールに向かって行動を続けるとき、私たちは自分一人で出来ることは何もないことを思い知る。
 そのときに、人の優しさや運命のめぐり合わせに感謝することを知り、心は素直になっていく。

 これが、私が長い距離を走る理由です。
 逃れようのない長い苦しみを意図的に作りだし、苦しみの中で自分を静かに見つめながら、心を整え、仕事や人間関係、生き方について大切なことを学び取ること。

 今も、精神的に疲れた時には、丸一日を開けて何も考えずにずっと走り続けています。
 足が痛くなり、身体がフラフラになるくらい走りこむと、心は軽くなっていることに気が付きます。

 このことは、いくら私が言葉を尽くしても伝わらないのかもしれません。
 経験してこそ理解できないものというのは世の中には存在するのです。私の言っていることを理解して頂くためには、丸一日ひたすら走り続けるということをやってみて頂く必要があるのかもしれません。

■走り続けることで、継続の力が身につく

 佐渡208kmのウルトラマラソンを走ったあと、いくつかのレースを走りながら、
 次に私が挑戦した大きなレースは、
 荒川と信濃川沿いに東京から新潟まで走る「川の道フットレース」
でした。

 全距離520kmのこのレース、私は240km地点で人生初のリタイアをすることになります。

 当時は悔しくて仕方がなく、リタイア後の1週間は走っても走ってもゴールに辿りつけない夢を毎日見ました。
 のみならず、失敗した時に当たり散らしてしまう自分の未熟さを思い知ったりもしたのですが、このレースで私はとても大切なことを学びました。
 そして、その学びがあったからこそ、本州縦断1,648kmを完走できたのだと思います。

 その学びは何か。
 可能な限り無駄な時間をそぎ落として、やるべきことを地道に続けることです。
 走ることであれば、走るという行為に割ける時間を最大化することですし、事業であれば、そのために割ける時間を最大化することです。

 とっても長い距離を走りぬくには、まず目標を立てたあとにどうやってそこに行くのかを決めないといけません。
 その後、道程を細かくブレークダウンして、どの道をどう走るのか、どこで泊まるのか、補給をどうするのか、荷物をどうするかなど細かいことを決めないといけません。
 前者は戦略で、後者は戦術という表現をすることもできます。

 しかし戦略と戦術が完璧なら、長い距離を走り抜けるのかというと、そうではありません。
 むしろ、戦略や戦術をきちんと作るのは、大して難しくない。

 では、完走するためには何が必要なのでしょう。
 それは、やるべきことを、コツコツと、休みなく行うこと。
 才能のないランナーである私にとっては、これが答えでした。

 ウサギとカメの競争の昔話は、ほぼ全ての人が知っているはずです。
 しかし、これが意味することを身に沁みて感じている人はどれほどいるのでしょうか。
 世の中には、地道に続けるカメが自堕落なウサギよりも成果をあげる話で満ち溢れています。
 もちろん、
 世界を変える人々は、地道に続ける「ウサギ」
なわけですが。

 2日で終わる佐渡のウルトラマラソンでは、とにかく走り続ければ良かったのですが、
 5日をかけて走る「川の道フットレース」では、休みを取りつつ走り続けなければいけません。
 川の道フットレースを走りきれなかった一番の理由は、とにかく休みを必要以上に取りすぎ、走るための時間を十分に設けることができなかったことに尽きます。

■やるべきことを、倦まず弛まずやり続ける

 本州縦断1,648kmは、27日間で走りました。
 途中仕事の用事が入ったりしたので、
 1.5ヶ月の間に27日を走る
ことに充てたわけですが、終日走ることができたのは21日でした。
 しかも、下の図で分かるように、身体が疲れている後半により多くの距離を走ることになってしまっています。


 こういう長丁場のレースを、大きく体調を崩さずに走りきるためには、とにかく物事をテキパキと進める必要がありました。

 具体的にはこういうことです。
 朝起きたらダラダラせず、痛めている部分のテーピングをしながらニュースをTVで流して天候をチェックし、移動距離を10mも無駄にせず、ホテルを出る。

 道中でストレッチなどを都度行うのは重要ですが、ダラダラと休んだりはせず、時間を区切って休んだあとは前に進む。
 (行儀が悪いですが)ご飯も可能な限り歩きながら食べる。
 宿に着いてからも服の洗濯、濡れたレインウェアやバックパックの乾燥など、やるべきことをサッとやって眠る時間を確保する。

 本州縦断ウルトラマラソンは、アキレス腱が切れる手前になるほどに足を痛めながら走ったため(そのため、完走翌年も冬になるとアキレス腱がビキビキ鳴りました)、どんなに一生懸命に走っても時速6.0kmも出ません。
 そんな状態で休む時間を長くしてしまうと、その日のうちに目的地点にたどり着かず、その疲労が翌日に続く、という最悪の悪循環となってしまうわけです。
 だからこそ、テキパキと物事をこなして、走るための時間を最大化することが非常に重要になります。


●本州縦断マラソン12日目、アキレス腱を痛め、大雨の中、自動車道路を進んだ


●本州縦断マラソン21日目、鳥取砂丘は砂漠というより大きな砂場だった

 起業前にこのウルトラマラソンをして本当に良かったと思います。
 というのも、このレースを通して、私は「やるべきことを、倦まず弛まずやり続ける」ことがだいぶ身についたからです。
 毎日毎日、筋肉の炎症で熱が38度近くあり、身体の色んな箇所が痛む状態でもやるべきことを続けられたのであれば、仕事でどんな苦境に追い込まれてもやるべきことを続けられます。

 また、こういう継続作業は、どんな状況においても心乱されない訓練にもなります。
 天気とか体調といった、自分でコントロール出来ないものには心乱されず(残念ながらその状態には完全に至っていないのですが)、目の前にあることに専心できる。
 こういった継続力は、全ての事業において成果をあげるために最も重要なことなのではないかと思います。

 これが、私が長い距離を走る理由です。
 走ることから得た学びを思い出すためにも、私はこれからも長い距離を走り続けるのだろうと思います。

 4000字で伝えるには限界がありますので、関心のある方は『ランニング思考』をご一読ください。
 校正者から「読んでてアキレス腱が痛くなった」と言われた一冊です。
 お時間があればご一読ください。
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